「玄米は栄養豊富。」
わかっているけど、美味しくないし、
手間もかかるし、消化も悪くて胃もつらそう。
そんな玄米の嫌〜な部分を、
“真空焙煎”という方法で解消したのが
幕末玄米です。
白米一合に、大さじ一杯まぜるだけ。
美味しく食べられ、疲労回復・美肌効果も。
簡単に玄米食の完成です。
自分の健康は、自分の内側から作りましょう。
とても大事なことなのに、すっかり忘れられていること。現代の人々が見失ってしまったこと。人の体は「食べたもの」で出来ています。(もっと言うと「食べたもの」でしか出来ていません。)その食事は、あなたを内面から元気に、美しくしてくれていますか?。味付けや糖質ばかりに気をとられていませんか?体に取り入れるものを正しく選ぶことによって、慢性的なおクスリ生活からサヨナラしたり、健康的で豊かな生活を送ることができます。
白米には栄養があります。しかし、玄米にはその何十倍もの栄養があります。そのほとんどを脱がしてしまい、わずかに栄養が残ったものが白米です。捨てられるヌカや胚芽には豊富なビタミン、ミネラル、食物繊維が含まれ、とりわけ疲労蓄積をさせないビタミンBが多く含まれています。現代ほど副菜をとる習慣が無く、白米が流行した江戸の町では、栄養不足による脚気(ビタミン欠乏症の一種)が蔓延し、“江戸患い”とも呼ばれました。
明治時代、東京医学校(現:東京大学医学部)で教鞭をとり、日本医学に貢献したエルヴィン・フォン・ベルツ先生(1849〜1913)は、玄米を主食とする日本人の並外れた体力に驚愕したそうです。どれだけ走っても疲れない人力車の車夫。それでは!と、その車夫に欧風の食事を摂らせてみたところ、あっという間に疲労困憊してしまったとか。また、「ここまで母乳がでる民族の女性を見たことがない」と驚きを述べています。日本人の力の源は玄米食にあったようです。
幕末から明治にかけて活躍した飛脚:勇松(いさみまつ)は、皇室御用として福島〜広島間(1300キロ)を36時間で踏破するなど、驚異的な脚力で日本中を駆け抜けました。あるとき、京都駅前で知り合いの男性に出会った勇松。男性は汽車で、勇松は走って地元:小松に向かいました。当時の京都〜小松間(240km)の乗車時間は7時間。男性が小松駅に着くと、駅前の風呂屋から手拭いを持った勇松が、サッパリした顔で出てきました。勇松の力の源も玄米でした。
白米には無く、玄米に有るもの。その代表的なヌカには、多くのビタミン類が含まれています。疲労回復を促すビタミンB1、ストレスを和らげるビタミンB2・ビタミンB6、貧血を防止するビタミン12、美肌効果やアンチエイジング効果をもたらすビタミンE。この豊富なビタミン類によって体内の細胞が活性化され、体の内側から元気にしてくれます。また、ともに含まれるガンマオリザノールという成分からは、肥満や糖尿病の予防につながること等も分かっています。
栄養豊富で体に良いのは分かっているけど、それでも食べにくいのが玄米。定着しないのも当然です。農家のわたしたちでもあまり食べません。炊くのに手間と時間がかかる、胃がもたれる。(そもそも玄米は殻付きのタネ。自分自身を守るために、毒性・発芽性を持っています。)幕末玄米は、水蒸気を使った真空焙煎製法により玄米の問題を全てカット。玄米に細かな気泡を作り、白米と同じ給水率を実現。白米と一緒に炊けるので、お子様でも美味しく食べられます。
美味しくない。面倒くさい。続けられない。何故なぜ歯がゆい玄米食。幕末玄米なら、美味しく続けることができます。いつも食べている白米一合あたりに、大さじ一杯混ぜて炊くだけ。全部玄米じゃなくていいの?と思われるかもしれませんが、幕末玄米の気泡から白米にエネルギーが伝わり、全体に玄米の栄養分が行き渡ります。そのまま食べても美味しいですし、写真のような辛口の“タイカレー”に合わせてもぴったり。アレンジも豊富です。幕末玄米が、元気な体を作ります。
富士山・立山と並び、日本三大霊山に称される白山。その霊峰を望む石川県白山市には、春になると豊かな雪解け水が流れてきます。何層にも渡る地層を通り、ミネラルを多く吸収、不純物が濾過された天然水は、お米作りにぴったり。西乃藏では、雪解け水が流れる五月に稲を植え、初秋の九月に収穫。一稲一稲、大切に育てた特別栽培米コシヒカリを、幕末玄米として精製します。往時、加賀百万石とうたわれた米所。霊峰白山からもたらされる自然の恵が源泉です。
美味い米が、廣く茂る。十二代目当主の名にも、西藏家のアイデンティティが息づいています。西藏の発祥は分かっているだけで四百年、遡ること安土桃山文化の時代。もっと古い可能性があると、十二代目は語ります。当時より白山を望むこの場所で土作りを繰り返し、米を探究し続けてきました。それは、有機肥料を100%使った製法や、一般的には行わない“株間”の取り方(一般的には1平米に60株、西乃藏では50株。栄養が行きやすく粒も大きい)に、こだわりが表れています。
幕末。将軍慶喜が大政を奉還し、八百年におよぶ武士の時代が終わりを告げた年。日本中が大混乱の中で、八代目当主西藏弥三衛門は西乃藏を建立しました。そこにどんな想いがあったかは、今のわたしたちには知る由もありません。ただ、大きな時代のうねりの中でも、美味しい米を探究し続けたことは事実です。百五十年前に作られた土蔵は、一年を通して温度・湿度が一定に保たれ米を熟成。品質を維持します。どのように時代が変ろうと、この姿勢が変わることはありません。
- (語り)
- 女将 西藏 利枝
幕末。
慶應四年建立の西乃藏で
熟成させた特別栽培米コシヒカリを、
真空焙煎しました。
日本全国、オンラインショップから
ご購入いただけます。
下記の店舗で幕末玄米・幕末玄米(粉)を
ご購入いただけます。
※売り切れ・取り扱いのない商品もございます。
事前にご確認ください。
- 販売・生産元
- 株式会社 西の藏米
〒924-0001
石川県白山市八田町993-2
OPEN 10:00-18:00(農作業中などで不在のこともあります)